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動画で見る世界人流・観光施策風土記アフリカ編 タンザニア 3月7~8日  ダルエッサラーム ザンジバル ZNZ

公開日: : 海外旅行感想, 海外観光

前回のタンザニア訪問は、東アフリカ共通ビザを取得して、ケニア、ウガンダ、ルアンダ、タンザニアを回った時である。タンザニアは、キリマンジェロの入り口の空港で一泊、明け方にキリマンジェロを眺めるだけであったが、今回は、ダルエッサラームとザンジバルに立ち寄れる。

ダルエスサラームDar es Salaam)は、タンザニア最大の都市で、かつての首都。現在の法律上の首都はドドマであるが、実質的な首都機能は、ダルエスサラームにある。 人口は515万人。海岸のため湿気が多い。最高気温は年間を通じ30℃前後、最低気温は20℃前後。降雨量は1年に1100mm。

人口増加が著しく、2050年に1597万人、2075年に3749万人、2100年の人口予測では7368万人を数える超巨大都市となる予測が出ている。

〇ザンジバル

https://youtu.be/P1IYdjiWfyI

タンザニアは、アフリカの中でも比較的治安が良い国として知られている。とは言え、ひったくりやスリなどの軽犯罪は多発。ストーンタウンはザンジバル島(ウングジャ島)の西岸に位置するザンジバルシティの旧市街。歴史上ポルトガル、オマーン、英国といった様々な国に統治され、アフリカの象牙や奴隷の輸出港としても繁栄したこの街は、アラブ、ヨーロッパの文化が融合した石造りの建物が多く、他にはない独特の雰囲気が魅力。2000年にはユネスコの世界遺産に登録。ストーンタウンではスルタンの宮殿や教会、奴隷市場の跡など歴史的なスポットを訪れるのはもちろん、入り組んだ細い路地を散策するのも楽しみ。また、美しい装飾が施されたザンジバルドアと呼ばれるドアも必見。海沿いのフォロダニ公園の屋台グルメも人気。

19世紀末のアフリカ分割の中でザンジバルの領土はドイツ帝国とイギリスによって分割され、1890年のヘルゴランド=ザンジバル条約によってイギリスの保護領となった。更に1896年、当時のスルターンの甥ハーリド・ビン・バルガシュが王位を簒奪、英国の退位要求を拒否したが、駐留していたイギリス艦隊の艦砲射撃により、わずか37分23秒で宮殿は破壊され、ハリドは対岸のドイツ領タンガニーカに亡命した。このイギリス・ザンジバル戦争は「史上もっとも短時間の戦争」としてギネスブックに掲載されている。戦争後、翌1897年に奴隷制度が廃止された。

1963年12月10日にザンジバルはブーサイード家の国王を戴いたまま、イギリス連邦の一員たるザンジバル王国として独立したが、翌1964年1月12日にアラブ系スルターンの長年の支配に不満をもっていたアフリカ人がクーデターを起こし、アラブ人とインド人が排斥される流血の中でザンジバル人民共和国が樹立された(ザンジバル革命)。東西冷戦の文脈の中での紆余曲折の後、同年4月に西側諸国の支持を得て、ジュリウス・ニエレレ大統領率いる大陸部のタンガニーカと合併してタンガニーカ・ザンジバル連合共和国を結成し、現在のタンザニア連合共和国が成立。

以上の歴史的背景により、タンザニアの大陸側からザンジバル島に入るためには、出入国手続きが必要となっている。

ザンジバル島のストーン・タウンは2000年にUNESCOの文化遺産に登録された。
ストーンタウンの家屋の扉。ザンジバルにはこのようなザンジバルドアが取り付けられた建築物が多数存在する

Stonetown of Zanzibar (Arabic: مدينة زنجبار الحجرية), also known as Mji Mkongwe (Swahili for “old town”), is the old part of Zanzibar City, the main city of Zanzibar, in Tanzania. The newer portion of the city is known as Ng’ambo, Swahili for ‘the other side’. Stone Town is located on the western coast of Unguja, the main island of the Zanzibar Archipelago. Former capital of the Zanzibar Sultanate, and flourishing centre of the spice trade as well as the slave trade in the 19th century, it retained its importance as the main city of Zanzibar during the period of the British protectorate.[1] When Tanganyika and Zanzibar joined each other to form the United Republic of Tanzania, Zanzibar kept a semi-autonomous status, with Stone Town as its local government seat.

Stone Town is a city of prominent historical and artistic importance in East Africa. Its architecture, mostly dating back to the 19th century, reflects the diverse influences underlying the Swahili culture, giving a unique mixture of Arab, Persian, Indian and European elements. For this reason, the town was designated as a UNESCO World Heritage Site in 2000.[2]

Due to its heritage, Stone Town is also a major visitor attraction in Tanzania, and a large part of its economy depends on tourism-related activities.[3]

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